イスラームの精神的側面

崇拝

崇拝とはイスラームにおいて一般的に、それが言葉か行為か信仰かに関わらず、アッラーの命に服従することを意味しています。信条的な崇拝行為は“信仰の柱”と呼ばれており、以下に説明されているものです。

アッラーへの信仰

    アッラーへの信仰は、かれが以下の物事において唯一無二であることを必然的なものとします:

  • アッラーがその主権において唯一であること:これはアッラーが存在し、かれこそがこの全宇宙の創造主かつ所有者であり、そこにおけるあらゆる物事を司るお方だということを証言することです。かれこそが全存在を存在せしめるお方であり、かれの御意志なしには何事も発生しないのです。至高のアッラーはこう仰いました: -かれにこそ創造と全ての権限は属する。万象の主アッラーの崇高さよ。, [クルアーン7:54]
    アッラーはかれが唯一の創造主であり、かれと共に他の創造者があることはあり得ないことを明確にしています。至高のアッラーはこう仰っています: -アッラーは(ご自身の)子供などお創りにもならなければ、(ご自身と)共に拝されるいかなる崇拝すべき対象もお持ちにならない。(もしそのようなことがあったら)全ての神は各々の創造物と共に分裂し、そして互いに高位を競い合ったであろう。アッラーは彼らの描写すること(つまり神の性質における欠陥や不完全性)から遥かに無縁な崇高なお方である。, [クルアーン23:91]
  • アッラーのみが崇拝される権利を有しているということ:これはアッラーのみが真の神性であり、崇拝に値する唯一の存在であり、かつ全ての崇拝行為はかれに向かって捧げなければならないということを信仰することです。人はかれを差し置いてかれ以外の何かに全面的に依拠したり、あるいは祈願したりするべきではありません。害悪の駆除や願い事の成就にあたっては、かれのみに祈願しなければならないのです。至高のアッラーはこう仰いました: -あなた以前にわれら(アッラーのこと)が遣わした使徒の内で、「われ(アッラーのこと)の他に神はない。だからわれを崇拝するのだ。」という啓示を与えなかった者はいなかったのである。, [クルアーン21:25]
  • アッラーがその御名と属性において唯一であること:これはアッラーがその御名と属性において唯一であり、かれにのみ最善かつ最高の名称と属性が帰せられ、かれがあらゆる欠陥から無縁な存在であることを信仰しなければならないということです。至高のアッラーはこう仰いました: -そしてアッラーにこそ美名が属するのであるから、それをもってかれに祈願するのだ。かれの美名をないがしろにするような輩は放っておくがいい。, [クルアーン7:180]

    -そしてアッラーにこそ美名が属するのであるから、それをもってかれに祈願するのだ。かれの美名をないがしろにするような輩は放っておくがいい。, -かれ(アッラー)に似たものは何一つない。にも関わらず、かれは全てを聞き、ご覧になられるお方なのである。, [クルアーン42:11]

諸天使への信仰

    これは天使という、異なった生命体の存在を信仰することを意味します。アッラー以外に彼らの正確な数を知る者はありません。彼らはただアッラーに服従し、その命令を遂行し、全世界とそこに居住する被造物を守っています。また彼らはアッラーの御意志とご命令に基づき、全世界における物事の遂行や監視、そして被造物の保護などの役割を果たしています。至高のアッラーはこう仰いました: -そして(アッラーの命によって)諸事を遂行する者たち(天使のこと)にかけて。, [クルアーン79:5]

    またアッラーはこのようにも仰っています: -そして(アッラーから託された)物事を、(そのご命令通りに)分配する者たち(天使のこと)にかけて。, [クルアーン51:4]

    天使は光から創造されました。アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)はこう言っています: 「天使は光から、ジン(精霊的存在)は無煙の炎から、そしてアダムはあなた方に示された物(土塊)から造られた。」 (ムスリムの伝承)

    天使は不可知の領域の存在です。彼らは光から造られたにも関わらず、視覚で捉えることが出来ません。しかしアッラーは彼らの姿が見えるよう、その姿を変化させる能力を与えました。アッラーは天使ガブリエルが人間の男性の姿でマリヤのもとを訪れたことに言及していますし、またその事実は聖書にも描写されています。至高のアッラーはこう仰いました: -それで彼女(マリヤ)は、彼らから(身を遮る)幕を垂れた。それからわれら(アッラーのこと)は彼女に、われらの精霊(天使ガブリエル)を遣わした。彼は一人の完全な男性の姿で彼女の前に現れた。彼女は言った:「私はあなたに対し、最も慈悲深いお方のご加護を乞います。もしかれを畏れるのならば(、私に近付かないで下さい)。」彼は言った:「私はあなたに清純な男子を授けるために、あなたの主から遣わされた者です。」, [クルアーン19:17-19]

    また預言者ムハンマド(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は、天使ガブリエルをアッラーが創造したままの姿で目撃しています。それは六百の翼を備え、その巨大さゆえに地平線を覆ったとまで伝えられています。

    天使は翼を有していますが、その数は二枚、三枚、あるいはそれ以上、と様々です。至高のアッラーはこう仰いました: -天地を裂いて生成されたお方、アッラーにこそ全ての讃美あれ。天使たちを二枚、三枚、四枚と翼を備えさせ、使徒となされたお方。(かれは)その創造に、お望みのままに付け加えられる。実にアッラーは全てのことがお出来になるお方である。, [クルアーン35:1]

    一方彼らのそれ以外の性質については、アッラーは何も述べてはいません。ただ彼らの役割や分担について、私たちに教示してくれるだけです。

    天使たちは常にアッラーを崇拝し、かれに服従し、また讃美しています。至高のアッラーはこう仰いました: -(天使たちは)昼夜に(その主の)崇高さを讃美し、休むこともないのだ。, [クルアーン21:19-20]

    また彼らが創造されたのもやはりアッラーを崇拝し、そしてかれに服従するためです。至高のアッラーはこう仰いました: -メシア(イエス)は、アッラーのしもべであることを慢じたりはしない。またかれのお傍に召されている天使たちも、同様である。…, [クルアーン4:172]

    また天使はアッラーと、人類であるその使徒たちとの間の特使の役割を担っています。至高のアッラーはこう仰いました: -そしてそれ(クルアーン)は万有の主からの啓示である。(それは)忠義なる魂(ガブリエル)によって下った。警告者となるべく、あなたの心に。明瞭なアラビア語によって。, [クルアーン26:192-195]

    またアッラーは、彼らを様々な役割を遂行させるために創造しました: -彼ら(天使たち)はその上にそびえておられる彼らの主を畏れ、かれに命じられるままのことを遂行する。, [クルアーン16:50]

    天使はアッラーの子供などではありませんが、敬意を払われ、愛されるべき存在です。至高のアッラーはこう仰っています: -そして(不信仰者たちは)言う:「慈悲深いお方(アッラーのこと)は子をもうけられた。」かれは(そのようなこととは)無縁な崇高なるお方である。彼ら(天使たち)は栄誉高いしもべであるのだ。彼らはかれ(アッラーのこと)に先んじて喋ることもなく、ただかれの命を遂行するのみである。, [クルアーン21:26-27]

    また天使はアッラーの共同者でも、連れ合いでも、同位者でもありません。至高のアッラーはこう仰いました: -そして天使や使徒たちを主とせよ、などとあなた方に命じることもあり得ない。あなた方がムスリム(アッラーの教えを受け容れた者)になった後、一体かれがあなた方に不信仰を命じることなどがあろうか?, [クルアーン3:80]

    アッラーはある種の天使の名称と役割を明らかにしています。例えばガブリエルは啓示の伝達の役割を担っています。至高のアッラーはこう仰いました: -(クルアーンは)忠義なる魂(ガブリエル)によって下った。警告者となるべく、あなたの心に。明瞭なアラビア語によって。, [クルアーン26:193-195]

    またミカエルは雨と植生の役割を担います。至高のアッラーはこう仰いました: -アッラーとその天使たち、そしてその使徒たちとジブリールとミーカーイールに敵対する者があろうと、実にアッラーこそは不信仰者たちにとっての敵なのである。, [クルアーン2:98]

    また死の天使は、人が死ぬ時にその魂を収集する役目を託されています。至高のアッラーはこう仰いました: -言え、「あなた方に託された死の天使があなた方(の寿命)を満了させ、それからあなた方はその主の御許へと戻されるのだ」。, [クルアーン32:11]

    またイスラーフィールは、復活の日にラッパを吹く役目を担っています。 至高のアッラーはこう仰いました: -それからラッパが吹かれる。その日(審判の日)彼らの血縁関係は(その意味が)失われ、互いに(安否を)尋ね合うこともない。, [クルアーン23:101]

    またマーリクは地獄の業火の番人です。 至高のアッラーはこう仰いました: -(地獄の民はこう)呼びかける:「マーリクよ、あなたの主に頼んで一思いに私たちを殺してしまってくれ。」(マーリク)は言う:「いや。あなた方はそこに留まるのだ。」, [クルアーン43:77]



    またザバーニーヤは地獄の住人を罰する役目を担っています。至高のアッラーはこう仰いました: -それゆえ彼の一味を呼んで来させるがよい。われら(アッラーのこと)はザバーニヤを呼んでやろう。, [クルアーン96:17-18]

    また全ての者には二人の天使がついています。一人はその善行を、そしてもう一人はその罪を記録するよう命じられているのです。至高のアッラーはこう仰いました: -二人の受け取る者(天使)が(人の)右と左に座して、(その言葉や行い)を受け取るのだ。(人が)語る全ての言葉は、記録し看視する者の面前を免れることはない。, [クルアーン50:17-18]

    また天国の万人を勤めるリドワーンという天使もいますし、人間を守る役割を委ねられた天使もいます。天使の種類はもっと沢山ありますが、いずれも特定の役割を担っています。その内のある者たちはクルアーンとハディースの中で言及されており、またある者たちは言及されてはいませんが、ムスリムは彼ら全てを包括的な形で信仰しなければならないとされています。

    諸天使への信仰がもたらす諸利益

    諸天使への信仰は、私たちは以下のような利益をもたらします:

    • アッラーの偉大さとその威力、その全てを包括する知識と御意志を知ること。被造物の壮大さは、その創造主の壮大さの証明でもあります。
    • 天使が傍で自分の全ての言行を監視していること、そして全ての言行は自分を益するものか害するものかでしかないということを感じること。また一人きりでも公衆の面前でも罪を避けさせ、善行へ駆り立たせる効果もあります。
    • 不可知の領域に関する誤った信仰から生まれる、虚偽や迷信などからの脱出。
    • アッラーがそのよきしもべに示してくれる慈悲について知ること。

アッラーの諸啓典への信仰

  • アッラーの諸啓典への信仰とは、アッラーがそれを人類に伝達させるべく、その使徒たちに啓典を下したということを信仰することです。これらの啓典は全て、啓示された時点では真実以外の何ものをも含んではいませんでした。それらにはアッラーが唯一であり、かれ以外には創造者も真の管理者も所有者もなく、全ての崇拝行為はかれのみに捧げられなければならず、かれにこそ全ての美名と卓越した属性が属している、といったメッセージが示されていたのです。かれは被造物のいかなるものにも似ておらず、かれに匹敵するものは何一つありません。至高のアッラーはこう仰いました: -われら(アッラー)は、明証と共にわれらの使徒たちを遣わした。そして彼らと共に啓典と秤も下したが、それは人々が公正を行使するためだったのである。, [クルアーン57:25]
    ムスリムは全ての啓典を信じ、またそれらが本来アッラーから下されたものであるということを信仰しなければなりません。但しそれらの啓典は特定の時代に特定の民に下されたものであるため、ムスリムがその法を堅持することは許されません。
    • アブラハムとモーゼの書:クルアーンはこれらの書の中に、いくつかの宗教的基礎を簡潔な形で見出しています。至高のアッラーはこう仰いました: -それともモーゼの書にあることが、告げられなかったというのか?そして(信託を)完遂したアブラハムのそれも?魂は他の魂の重荷を負わされることはない。そして人間は、自らが努力したもの以外のものを得ることはない。彼は自分の努力を目にするであろう。それから十分な報いを受けるであろう。そして行き着く先は、あなたの主以外の何ものでもないのだ。, [クルアーン53:36-42]
    • トーラー:トーラーはモーゼに下された、聖なる書です。 至高のアッラーはこう仰いました: -実にわれら(アッラーのこと)は、正しい導きと光を宿したトーラーを下した。アッラーに服従した預言者たちは、それでもってユダヤ教徒たちを裁いていたのだ。そしてまた学識豊かで敬虔な者たちや律法学者らも(そうした)。それは彼らがアッラーの書(トーラー)の保持を託され、また(そこに記されていることに対する)証人であったためである。ゆえに人々を恐れず、われ(アッラーのこと)を畏れよ。僅かな値段でもってわがみしるしを売ったりしてはならない。そしてアッラーの下されたもの(イスラーム法)以外のもので裁く者こそは、不信仰者なのである。, [クルアーン5:44]

      クルアーンは、トーラーの中にあるいくつかの教義も説明しています。その中には、預言者ムハンマド(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)のいくつかの特徴に言及しているものもあります。至高のアッラーはこう仰っています: -ムハンマドはアッラーの使徒である。そして彼と共にある者たちは不信仰者たちに対しては厳しく、彼ら自身の間では慈しみ深い。あなたは彼らがアッラーの報奨とご満悦を求めてルクーゥ し、サジダ(伏礼)するのを見るだろう。彼らの印は、サジダの痕跡としてその顔に表れている。これこそはトーラーにおいて記されている譬えであり、福音書において記されている譬えである。, [クルアーン48:29]


      アッラーはまたクルアーンの中で、トーラーにおいて啓示されたいくつかの宗教法規定に関しても触れています。至高のアッラーはこう仰いました: -そしてわれら(アッラーのこと)は、その(トーラーのこと)中で彼らに対し定めた:命には命で、目には目で、鼻には鼻で、耳には耳で、歯には歯で、そして傷害は(同様の傷害によって)報復される。しかしそれを免じてやる者は、それが彼にとっての贖罪となろう。アッラーが下されたもので裁かない者は、実に不正者なのである。, [クルアーン5:45]

    • ザブール(詩篇): ザブールは預言者ダビデに下された書です。至高のアッラーはこう仰いました: -…そしてわれら(アッラーのこと)はダビデに、詩篇を下した。, [クルアーン4:163]
    • 福音書: 福音書はイエスに啓示された聖典です。至高のアッラーはこう仰いました: -そしてわれら(アッラーのこと)は、それ以前に下されたトーラーの中にあるものを確証するため、マリヤの子イエスに彼らの跡を踏襲させた。そしてわれらは、彼に正しい導きと光を宿した福音を授けた。それはそれ以前に下されたトーラーの中にあるものを確証し、アッラーを畏れる者たちへの導きと訓戒とするためである。, [クルアーン5:46]

      またクルアーンは預言者ムハンマド(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)が将来遣わされることなど、トーラーと福音書の中に見出されるある種の内容についても言及しています: -(アッラーは)仰った:「わが懲罰は、われが望む者に降りかかるのだ。そしてわが慈悲は全てのものを包み込んでいる。ゆえにわれは(われを)畏れ、ザカー(浄財)を払い、われら(アッラーのこと)のみしるしを信じる者たちにそれを授けよう。」トーラーと福音書の中に記されているのを彼ら(啓典の民)が見出すところの、文盲の使徒、預言者(ムハンマド)に従う者たち。彼こそは善を勧め悪を禁じ、彼らによきものを合法なものとし、悪しき物を彼らに禁じる。そして(彼は)彼らが背負っていた重荷と、彼らにはめられていた枷を取り除くのだ。ゆえに彼を信仰し、また敬いかつ援助して、彼と共に下された光に追い従う者たちこそは、真の成功者なのである。, [クルアーン7:156-157]


      またそれらの啓典は、アッラーの宗教の興隆のために奮闘することを促しています。至高のアッラーはこう仰いました: -実にアッラーは、天国と引き換えに信仰者たちの生命と財産を購われた。(それはつまり彼らが)アッラーの道において殺し、殺される(ことである)。これはトーラーと福音書とクルアーンにおいて(アッラーが約束された)真実のお約束なのである。そしてアッラーよりもその約束に対して忠実なお方があろうか?それゆえあなた方が契りを結んだ取引を喜ぶがいい。それ(天国)こそはこの上ない勝利なのである。, [クルアーン9:111]

    • 聖クルアーン:ムスリムは、クルアーンが天使ガブリエルを通して預言者ムハンマド(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)にアラビア語で下された、アッラーの御言葉であることを信仰しなければなりません。至高のアッラーはこう仰いました: -そしてそれ(クルアーン)は万有の主からの啓示である。(それは)忠義なる魂(ガブリエル)によって下った。警告者となるべく、あなたの心に。明瞭なアラビア語によって。, [クルアーン26:193-195]

    クルアーンは先の諸啓典と、以下のような点において異なっています:

    • クルアーンは、そのメッセージがアッラーの唯一性とかれへの崇拝と服従の義務であるという点においてそれ以前の諸啓典を確証する、最後の啓典です。至高のアッラーはこう仰いました -そしてわれら(アッラーのこと)はあなたに、真実をもって(クルアーン)を下した。それはそれ以前の諸啓典を確証し、かつ従属させるものである。, [クルアーン5:48]
    • クルアーン以前の諸啓典は、クルアーンの啓示によって無効化されました。そしてその教えは神聖かつ最終的なものであり、また時代や場所を問わず適応する永遠のものなのです。至高のアッラーはこう仰いました: -この日われ(アッラーのこと)はあなた方に対し、あなた方の宗教を完成させた。そしてあなた方への恩恵を全うし、イスラームがあなた方の宗教であることに満足した。, [クルアーン5:3]
    • クルアーンはそれ以前の諸啓典のように特定の民族に下されたのではなく、全人類に下されました。アッラーはこのように仰っています: -そしてわれら(アッラーのこと)はあなたを、福音と警告を告げる者として人類全てに向けて遣わした。しかし多くの人々は知らないのだ。, [クルアーン34:28]

      クルアーン以外の諸啓典は宗教的基礎においてクルアーンと一致する部分も多いのですが、それらは特定の人々に向けられたものでした。そのためそれらの法や規則は、その民のみを対象としています。福音書の中には、イエス自身がこう言ったと記されています: 「私はイスラエルの系譜の、迷えし羊たちにのみ遣わされたのである。」 [マタイ伝15:24]

    • クルアーンの朗唱と暗記、教授は一つの崇拝行為と見なされます。預言者ムハンマド(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)はこう言いました: 「クルアーンを朗誦する者は誰でも、十の報奨を得よう。“アリフ・ラーム・ミーム”は一つの語なのではない。“アリフ”も“ラーム”も“ミーム”も、それぞれ一語なのである。」 (アッ=ティルミズィーの伝承)
    • クルアーンには、社会を改善するために必要な全ての法規定が内包されています。ドーマン(H.G. Dorman)はその著“Towards understanding Islam”の中で、こう述べています: 「クルアーンはガブリエルによってムハンマドに伝えられた、その一語一句が完璧さを極める文字通りの神の啓示である。そしてそれは今もそれ自体、そして神の使徒であるムハンマドに対して証言し続けている、一つの奇跡なのだ。その奇跡的性質は一部はその文体に存在しており、その余りの高尚さと完璧さゆえにいかなる人間やジン(精霊的存在)も、クルアーンの最も簡潔な章に匹敵するようなものすら創作することが出来ない。またその一部はその中に未来に起こることの予言が含まれていることであり、そのような驚くべき正確な情報が文盲であったムハンマドが自ら収集したものとは到底思えないのである。」
    • クルアーンは様々な使徒や預言者に啓示された天啓宗教の連鎖を説明する、一つの歴史的報告です。そこにはアダムからムハンマド(彼ら全員にアッラーからの祝福と平安あれ)まで、全ての使徒や預言者とその民との間に起こった出来事が伝えられているのです。
    • アッラーはクルアーンをあらゆる改竄や歪曲、付加や損傷などから守りました。至高のアッラーはこう仰っています: -実にわれら(アッラーのこと)は、訓戒(クルアーン)を下した。そしてわれらはその守護者なのである。, [クルアーン15:9]
    • その他の啓典に関しては、アッラーはその守護を約束しませんでした。というのも、それらは特定の時代と特定の民に対して下されたものだからです。それらが改竄されたのは、まさにこういった理由からです。至高のアッラーはこう仰いました: -あなた方(信仰者)は、彼ら(不信仰者たち)があなた方を信じることを所望すると言うのか?彼らの一部はアッラーの御言葉を聞き、それを理解した後に及んで、知りつつそれを改変したというのに。, [クルアーン2:75]

      キリスト教徒による福音書の改竄に関して、至高のアッラーはこう仰っています: -そして「私たちはキリスト教徒です」と言う者たちとも、われら(アッラーのこと)は契約を結んだ。しかしその後、彼らは彼らに与えられた訓戒の一部を忘れてしまった。それでわれらは審判の日に至るまで、彼らの間に敵意と憎悪を生じさせた。アッラーは彼らが行っていたことを、彼らに告げ伝えられるであろう。啓典の民(ユダヤ教徒とキリスト教徒)よ、あなた方のもとに、あなた方がその啓典において隠蔽していた沢山の物事を明らかにし、また(その他の)沢山の物事については看過(して、イスラームにおけるその合法性の継続を確証)すべく、われら(アッラーのこと)の使徒が到来した。実にアッラーの御許からあなた方のもとに、光と明白なる啓典がもたらされたのだ, [クルアーン5:14-15]


      ユダヤ教徒とキリスト教徒がその宗教において革新した物事の一つとして、彼らがアッラーに息子を結び付けたという虚偽が挙げられます。あるユダヤ教徒らはエズラがアッラーの息子だと、そしてキリスト教徒はイエスがアッラーの息子であると主張していたのです。この件に関し、至高のアッラーはこう仰いました: -そしてユダヤ教徒はウザイル(エズラ)がアッラーの子であると言い、キリスト教徒はマスィーフ(イエス)がアッラーの子であると言った。それは口先だけの彼らの言い分であり、彼ら以前の不信仰者たちの言葉を模倣しただけのものである。彼らにアッラーの呪いあれ。彼らはいかに(真実から)逸れ去ってしまったものか。, [クルアーン9:30]


      そしてアッラーは彼らの主張に反駁し、人が抱くべき正しい信仰についてこう明白にしています: -言え、「かれこそは唯一なるアッラー。アッラーこそは全てのものが依拠するところの主。かれは生むことも生まれることもなく、そしてかれに匹敵する何ものもない。」, [クルアーン112:1-4]


      ここからも明らかなように、今日出回っている聖書はアッラーの御言葉でもなければ、イエスの言葉でもありません。それらはイエスの追随者や学徒らの言葉なのです。そこにはイエスの生涯や訓戒や命令などが含まれていますが、ある特定の意図をもって多くの改竄がなされてしまったのです。スティーブ・アレン(Steve Allen)はその著「On the Bible, Religion, & Morality」の中で、こう述べています: 「聖書における間違いの数は、約六千にも及んでいる!この事実を、聖書が完全に無謬であるという一般的な考えと合致させようという試みは、到底不可能である。」

    アッラーの諸啓典への信仰がもたらす諸利益


    アッラーが私たちに伝えた諸々の啓典を信じることには、以下のような利益があります:

    • アッラーのそのしもべに対する愛と慈悲の実感。かれがこれらの啓典を下したのは、全てそのしもべをかれのご満悦へと続く道へと導くためであったに他なりません。かれは人類を混乱と、悪魔の邪悪な策略から守ったのです。
    • アッラーの偉大な英知の実感。かれは特定の民に、その時代と彼らの状況に沿った法を定められました。
    • 真の信仰者とそうでない者との判別。自らに下された啓典を信じる者は、他の啓典も信じなければなりません。
    • 信仰者の善行の増加。ある啓典を信じていた者は、その後に到来した啓典を信じることで倍の報奨を得ることになります。至高のアッラーはこう仰いました: -われら(アッラーのこと)がそれ以前に啓典を授けた者たちは、それを信じよう。それ(クルアーン)が朗誦されれば、彼らはこう言うのだ:「私たちはこれを信じました。これこそはわれらが主からの真理です。私たちはこれ以前からムスリム(アッラーの教えを受け入れて従った者)でした。」彼らは彼らが辛抱したことによって、倍の報奨を与えられよう。彼らは悪行を善行でもって返し、われらが恵んだ物から施すのだ。, [クルアーン28:52-4]

諸使徒への信仰

  • アッラーが被造物に対し遣わした使徒たちが、人類の中で最も優れた者であるということは、ムスリムにとっての基本的信仰です。使徒たちは人々がアッラーを崇拝し、かれに従い、彼の宗教と唯一性を確立するための特定の法規定を携えて遣わされました。至高のアッラーはこう仰っています: あなた以前にわれら(アッラーのこと)が遣わした使徒の内で、「われ(アッラーのこと)の他に神はない。だからわれを崇拝するのだ。」という啓示を与えなかった者はいなかったのである。 [クルアーン21:25]
    アッラーはその使徒たちに、人々に対してメッセージを伝達するよう命じ、彼らがその後アッラーに対して何の弁解も出来ないようにしました。

    また使徒たちは、彼らと彼らが携えて来たものを信仰する者に約束されたアッラーのご満悦と天国の福音を伝えると同時に、それらを拒む者たちに約束されたアッラーのお怒りと懲罰を警告するために遣わされました。 われら(アッラーのこと)は使徒を、警告者かつ福音をもたらす者として遣わす。ゆえに信仰して(自らとその行いを)正す者には恐れも悲しみもないであろう。一方われらのみしるしを虚偽とする者は、彼らが働いていた不義ゆえに懲罰を受けるであろう。, [クルアーン6:48-49]

    歴史上遣わされた使徒と預言者は数多く、その正確な数はアッラー以外誰も知りません。至高のアッラーはこう仰いました: そしてわれら(アッラーのこと)はあなた以前にも使徒たちを遣わした。彼らの内のある者はあなたに語って聞かせたが、ある者は語って聞かせなかった。 [クルアーン40:78]

    しかしムスリムは彼ら全員を信じなければならず、また彼らが超自然的存在などではなく人間であったことを信じます。 至高のアッラーはこう仰いました: そしてわれら(アッラーのこと)があなた以前に、人間の男性以外の者に啓示を与えることはなかった。もし(そのことを)知らなければ、訓戒の民(ユダヤ教徒とキリスト教徒)に訊ねてみよ。またわれら(アッラーのこと)は彼ら(使徒と預言者)を、食事も摂らないような肉体にはしなかったし、不死者ともしなかった。, [クルアーン21:7-8]


    ムハンマド(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)について、至高のアッラーはこう仰います: (ムハンマドよ、こう言うのだ)「私は、あなた方が崇拝すべきものはただ一つの神性であるという啓示を授かっただけの、あなた方同様の一人の男に過ぎない。ゆえに自らの主との面会を望む者はよき行いをし、その主に対するイバーダ(崇拝行為)においてシルク を犯してはいけない。」 [クルアーン18:110]

    またアッラーはイエスに関して、こう仰っています: マリヤの子イエスは、それ以前にも数々の使徒が過ぎ去ったところの、一人の使徒に過ぎない。そしてその母親は(姦淫など犯してはいない)正直者である。彼らは(人間であるがゆえに)食事を摂っていたのだ。見よ、われら(アッラーのこと)が彼らに対して、いかにみしるしを明らかにするかを。そして見よ、彼らが(真理から反れて)どこに背き去ってしまうかを。 [クルアーン5:75]

    使徒や預言者たちは、アッラーに相似するいかなる性質も有してはいません。彼らは、彼ら自身では害益をもたらす力を持ち合わせてはいないのです。また彼らには宇宙の諸事を自由にしたり、望むがままのことを行う力も備わってはいません。彼らはアッラーのみが権能を有するところにおいて、無力なのです。至高のアッラーはこう仰いました: 言え(ムハンマドよ)、「私はアッラーのご意思に叶うこと以外、自らに(何かを)害(する権威)も益(する権威)も持ち合わせてはいない。もし私が不可知の領域を関知していたら、よいことばかりを集め、災難は回避することが出来ただろう。」, [クルアーン7:188]

    一方で彼らは、アッラーからのメッセージを伝達することにおいてはいかなる不備もなく、またその信託を完全に遂行します。彼らは被造物の内で最も知識が豊富で、また最も敬虔な存在なのです。アッラーは彼らを、嘘やインチキから無縁な存在としました。至高のアッラーはこう仰っています: -そして使徒はアッラーのお許しなくして、みしるしをもたらすことはならなかったのだ・・・, [クルアーン13:38]

    また彼らの内のある者は信じるが、別の者は信じない、といった考えはイスラームにおいて不信仰に陥ることを意味します。このような状態に陥った者は、ムスリムとは見なされません。至高のアッラーはこう仰いました: アッラーとその使徒たちを信じず、アッラーと彼らの間を分け隔てようとする者たち。そして「私たちは(使徒たちの)これこれの者たちは信じるが、他の者たちは信じない。」などと言って、その(信仰と不信仰)間に道を見出そうとする者たち。彼らこそは真に不信仰者である。そしてわれら(アッラーのこと)は不信仰者たちに対し、屈辱の懲罰を用意しておいたのだ。 [クルアーン4:150-151]

    尚クルアーンの中では、二十五人の使徒や預言者が言及されています。至高のアッラーはこう仰いました: -そしてそれらはわれら(アッラーのこと)が、アブラハムに対しその民に向けて授けた明証である。われらは望む者の地位を上げるのだ。実にあなたの主は英知に溢れ、全てを知り尽くされたお方である。そしてわれらは彼にイサクとヤコブを授け、両者を導いた。またそれ以前にノアも導いた。そしてその子孫であるダヴィデ、ソロモン、ヨブ、ヨセフ、モーゼ、アーロンも(また導いた)。われらはこのように知識に秀で、行いの正しい者に報いを与えるのだ。またザカリヤ、ヨハネ、イエス、イリヤース(も導いた)。(彼らは)全て正しい者たちであった。そしてイシュマエル、アル=ヤサア、ヨナ、ロト(も導いた)。われらは彼ら全員を、全世界において卓越した者たちとした。, [クルアーン6:83-86]

    アッラーはアダムについて、こう仰っています: -実にアッラーはアダムとノア、アブラハムの一族とイムラーンの一族を全世界の中から選り抜かれた。, [クルアーン3:33]

    またフードに関しては、こう仰っています: -そしてアード(の民)にはその同胞であるフードを(遣わした)。彼は言った:「民よ、アッラーを崇拝するのだ。あなた方にはかれを差し置いて、崇拝すべきものはない。実にあなた方は捏造者である。」, [クルアーン11:50]

    またサーリフはこう言及されています: -そしてサムード(の民)にはその同胞であるサーリフを(遣わした)。彼は言った:「民よ、アッラーを崇拝するのだ。あなた方にはかれを差し置いて、崇拝すべきものはない。かれはあなた方を大地から創り、そしてあなた方をそこを開発する居住者とした。かれにお赦しを乞い、悔悟するのだ。実に私の主は(その知識をもって)近くにおられ、(祈りを)聞き届けられるお方である。」, [クルアーン11:61]

    またシュアイブについては、こう仰っています: -そしてそしてマドゥヤン(の民)には、その同胞シュアイブを(遣わした)。彼は言った:「民よ、アッラーを崇拝するのだ。あなた方にはかれを差し置いて、崇拝すべきものはない。そして(自分の利益のために、偽って)度量や秤を減じてはならない。実に私はあなた方の繁栄を目にするが、あなた方に全てを包囲する日(審判の日)の懲罰(が降りかかるの)を恐れるのだ。」, [クルアーン11:84]

    またエノックも言及されています: -そしてイシュマエルとエノックとエゼキエル。皆忍耐強い者たちであった。, [クルアーン21:85]

    そして預言者ムハンマド(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)こそは最後の使徒であり、彼以後には最後の日が到来するまでいかなる使徒も預言者も出現しません。至高のアッラーはこう仰いました: -ムハンマドは(彼が授かった本当の彼の子でもない)あなた方の内の誰の父親でもない。しかしアッラーの使徒であり、最後の預言者なのだ。, [クルアーン33:40]


    ムスリムは、預言者ムハンマド(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)がもたらした宗教が、それ以前の宗教を撤回するものであるということを信じます。そしてイスラームこそが従うべき真実かつ完璧な最後の宗教であり、最後の日が到来するまでそうあり続けるということを。


    またアッラーはある使徒たちを、「ウルル=アズム(敢然たる者たち)」と名付けています。彼らはメッセージの伝達において最も敢然かつ、忍耐強い者たちでした。彼らはノア、アブラハム、モーゼ、イエス、ムハンマドの五人です。彼ら全員にアッラーからの称揚と、ご加護がありますよう。至高のアッラーはこう仰いました: -そしてわれら(アッラーのこと)が預言者たちと、そしてあなたと、ノアと、アブラハムと、モーゼと、マリヤの子イエスと契約を結んだ時(のことを思い出せ)。われらは彼らと固い契約を交わしたのだ。, [クルアーン33:7]


    ムハンマドとは誰か?

    彼の名は、ハーシムの息子アブドルムッタリブの息子アブドゥッラーの息子、ムハンマドです。彼はアッラーのご寵愛を一身に受けたそのしもべである使徒アブラハムの息子イシュマエルの系譜であるアドナーンの子孫、アラブのクライシュ族の出です。


    アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)はこう言っています: アッラーはイスラエルの子からキナーナ族をお選びになり、そしてキナーナ族からクライシュ族をお選びになった。そしてクライシュ族からバヌー・ハーシム支族をお選びになり、バヌー・ハーシム支族から私をお選びになったのだ。」 (ムスリムの伝承)

    彼は西暦571年、栄光の町マッカ(メッカ)にて生を受けました。マッカはその当時から、アブラハムとその息子であるイシュマエル(彼らにアッラーからの平安と祝福あれ)によって建設されたカアバ神殿をその中心に擁する、アラビア半島の宗教的中心地でした。


    ムハンマド(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)の全生涯は、誠実さと信頼高さによって象徴されるといってよいでしょう。彼は啓示を受ける以前でさえも、嘘をついたり、インチキをしたり、人を騙したりすることがありませんでした。彼は人々の間で「信頼高い人」という綽名で呼ばれており、マッカの人々は旅行でマッカを離れる時には、彼のもとに所持品を託して出かけたものでした。また彼は「誠実な人」とも呼ばれていました。彼は優れた人格と作法を備えている一方、雄弁でもあり、また他人に対して常によいことを望むような人物でした。アッラーは彼を描写して、こう仰ります: -そしてあなたはこの上ない高徳の持ち主である。, [クルアーン68:4]


    彼が初めてアッラーから啓示を受けたのは、40歳の時でした。その後彼はマッカで13年間アッラーのみを崇拝することへと人々を招き、その後その住民の多くがイスラームを受容したマディーナ(メディナ)へと移住しました。アッラーはそこで、残りの法規定を啓示しました。そして移住後8年後にマッカ開放に成功し、クルアーンが全て下された後、63歳で亡くなりました。こうしてイスラームの法規定は余すことなく啓示されて完全なものとなり、大半のアラブ人はイスラームを受け入れたのです。

    諸使徒への信仰がもたらす諸利益

    アッラーが派遣した諸々の使徒や預言者を信じることには、以下のような利益があります:

    • アッラーからのそのしもべに対する愛と慈悲の実感:アッラーはその宗教を人々に伝達するために使徒たちを遣わしたのであり、また彼らは人々の間のよき模範でもありました。
    • 真の信仰者とそうでない者の判別:自らの使徒を信じる者は、その啓典の中に言及されている他の使徒や預言者を信仰しなくてはなりません。
    • 自分たちの使徒や預言者を信じていた者がムハンマド(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)を信じることで、倍の報奨を得ることになります。

最後の日への信仰

    イスラームでは、この世界での生活がある日終局を迎えるということを信じます。至高のアッラーはこう仰いました: -かれ(アッラー)の御顔を除く万象は滅び去る。, [クルアーン55:26]

    そしてアッラーがこの世の終局を望んだ時、かれは天使イスラーフィールにラッパを吹くように命じます。このとき地上の全てのものは崩壊します。そして再度アッラーが彼にラッパを吹くよう命じた時、アダムの時代からの全ての者はその墓場から肉体をもって復活するのです。アッラーはこう仰ります: -そして角笛が吹き鳴らされ、アッラーがお望みになられるもの以外の天地の全てのものは気を失う。それからもう一吹きされると、彼らは立ち上がり眺め回す。, [クルアーン39:68]


    最後の日への信仰には、そのことについてアッラーとその使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)が伝えたことの全てを信じるということも含まれます。以下に示すのはその主な例です:

  • 境界上の生を信じること:境界とは、人が死んでから最後の日を迎えるまでの時間帯を意味します。信仰者はそこにおいて安寧の時を過ごしますが、不信仰者は懲罰を受けます。至高のアッラーはこう仰いました: -(それは)彼らが(死後復活の時が来るまで)朝に夕に晒される業火。そして審判の日には、(アッラーが天使たちにこう命じられて言われる)「ファラオの一族を最も過酷な懲罰の中に投げ込むのだ。」, [クルアーン40:46]
  • 復活を信じること:アッラーは人々を全裸で裸足のまま、そして割礼されていない状態で復活させます。至高のアッラーはこう仰いました: -不信仰者たちは、(死後)蘇らされることなどはないと思い込んでいる。言え、「いや、私の主にかけて。あなた方は蘇らされ、(現世での)所業を通達されるのだ。そんなことはアッラーにとって他愛もないことである。」, [クルアーン64:7]

    多くの人は、死後全ての被造物が復活させられることを信じません。それゆえクルアーンは多くの譬えを用いて、その事実を強調するのです。その例を以下に挙げていってみましょう:


    • 不毛の土地から様々な種類の植物が発生するのを観察すること。至高のアッラーはこう仰いました: -またあなたは干からびた大地にわれら(アッラーのこと)が雨が降らせると、それが振動して(そこから植物が芽を出し)伸び上がり、あらゆる種類の麗しい植物が生育するのを見るのだ。これはアッラーこそが真理であり、かれが死者を生き返し、そしてかれが全能であるからに他ならない。また(最後の)時は疑念の余地なく到来し、アッラーが墓の中にいる者たちを蘇らせるからである。, [クルアーン22:5-7]
    • 人類の創造よりも遥かに偉大である、天地の創造について思いを巡らせること。至高のアッラーはこう仰いました: -彼らは天地を創造され、それらの創造で疲弊されることなどなかったアッラーが、死人に生を授けることがお出来になるとは考えないのか?いや、かれこそは全てのことがお出来になるお方なのである。, [クルアーン46:33]
    • 死後の復活にも相似した、睡眠後の人間の覚醒について熟慮すること。実際、睡眠は「小さな死」と呼ばれることもあります。至高のアッラーはこう仰いました: -アッラーはその(定められた)死期にある魂と、眠りの中にあるまだ死んではいないそれ(魂)をお召しになられる。そして死を定められたものは(その御許に)留め置き、そうではないものは既定の時期まで解き放たれる。実にこの中には熟考する民へのみしるしがあるのだ。, [クルアーン39:42]
    • 自分自身の創造をよく吟味すること。至高のアッラーはこう仰いました: -そして(不信仰者は)自らの創造のことを忘れて、われら(アッラーのこと)に向かって(死後の復活を否定する)譬え話をしてこう言う:「朽ち果てた骨を誰が生き返らせるというのか?」言え、「それを最初に創造されたお方が、(また)それに生をお与えになるのだ。かれは全ての創造についてご存知であられる。」, [クルアーン36:78-79]
  • 召集を信じること:アッラーはその日全ての被造物を召集し、現世での行いの清算のために呼び集めます。至高のアッラーはこう仰いました: -そしてその日われら(アッラーのこと)は山々を動き回らせ、あなたは大地(に秘められた全てのもの)が明らかになるのを見るであろう。そしてわれらは彼らを召集し、誰一人としてそれを免れる者はいない。, [クルアーン18:47]
  • その日人は各自ふさわしい位階を与えられ、アッラーの御前に連れて来られるということを信じること:至高のアッラーはこう仰いました: -そして帳簿が置かれ、あなたは(真理を否定していた)罪悪者たちがそこに(記されて)あるものに怯えるのを目にするだろう。そして彼らは言うのだ:「何たることだ、この帳簿には(現世で行ったことが)小さいことも大きいことも漏れなく数え尽くされているではないか!?」そして彼らは自ら行ったことを眼前に見る。あなたの主はいかなる者にも不正を施されない。, [クルアーン18:48]
  • その日人の手足までもが、現世でのその行いを証言するということを信じること:至高のアッラーはこう仰いました: -そして地獄の業火までやって来ると、彼らの聴覚と視覚と皮膚は、彼らが(現世で)行っていたところの悪行を証言し始める。(彼らは)自らの皮膚に向かって言う:「どうして私たちに不利になる証言をするのだ?」(彼らの皮膚は)言う:「あらゆるものを喋らせることのお出来になるアッラーが、私たちを喋らせられたのです。」かれ(アッラー)はあなた方を最初に創られたお方。そしてあなた方は彼の御許へと還るのだ。またあなた方は(現世において)、あなた方の聴覚と視覚と皮膚があなた方(の悪行)を目撃するのを避けることは出来なかった。そしてアッラーがあなた方の行いをよくご存知でないと、高を括っていたのだ。, [クルアーン41:20-22]
  • その日尋問されることを信じること:至高のアッラーはこう仰いました: -(アッラーは天使たちに言う:)「そして彼らを止めよ。彼らは(現世での所業を)尋問されるのである。」(天使たちは彼らに言う:)「一体どうしたというのか?(現世でそうしていたように)あなた方は(この困難の中で今)助け合わないのか?」いや、(そうすることは出来ない。)その日彼らは完全に降伏しているのだ。, [クルアーン37:24]
  • 地獄の業火に架けられた橋を渡らされることを信じること:全ての者がそこを渡らされることになります。至高のアッラーはこう仰いました: -そしてあなた方は皆地獄(の架け橋)にやって来る。それはあなたの主が必ずご遂行されることなのである。, [クルアーン19:71]
  • 現世での行いを秤にかけられることを信じること:その日アッラーは人々を清算のために召集し、善行者‐正しい行いや信仰、使徒たちへの信奉などを遵守していた者‐にはそれにふさわしいものでもって報います。そして悪行を行っていた者には、懲罰でもって報いるのです。至高のアッラーはこう仰いました: -そしてわれら(アッラーのこと)は審判の日のために公正な秤を設けるゆえ、魂はいかなる不正も被ることがない。そしてからし種一粒ほどの重さ(の行い)でも、われらは提示しよう。われらは清算者として完全なのである。, [クルアーン21:47]
  • 現世での行いの帳簿を受け取ることを信じること:至高のアッラーはこう仰いました: -それでその帳簿を右手に受け取る者は、その清算を易しくされるだろう。そして嬉々として(天国の)仲間の所へ向かうであろう。一方帳簿を背後から受け取る者は、その(来世での)破滅を悔いるであろう。それから燃え盛る炎の中に連れて行かれるであろう。, [クルアーン84:7-12]
  • 人は報いを受けるということを信じること:つまり永遠の来世において、天国か地獄かを与えられるということです。至高のアッラーはこう仰いました: -啓典の民(ユダヤ教徒とキリスト教徒)とムシュリク(シルク を犯す者)たちの内で(真実を)隠蔽し認めない者たちは、地獄の業火に永遠に留まることになる。彼らこそは創造物の内でも最悪の者たちなのだ。そして信仰し善行に勤める者たちこそは、創造物の内でも最善の者たちである。彼らのその主の御許での報奨はその下を河川の流れるエデンの園であり、そこに永遠に暮らすのだ。アッラーは彼らにご満悦であり、彼らもまたかれに満悦する。これこそ(現世で)その主を畏れていた者の報いなのだ。, [クルアーン98:6-8]
  • 預言者の水飲み場 とその執り成しを信じること:そして、預言者ムハンマド(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)から伝わるそれ以外の全ての事象について信じることです。
  • 最後の日への信仰がもたらす諸利益

    最後の日への信仰がもたらす諸利益には、以下のようなものがあります:

    • 人をその日のために準備させ、競い合って善行に励み、罪深い行いを回避し、アッラーの懲罰を恐れさせます。
    • 信仰者を安心させます:というのも彼らはこの世界で何かを控えれば、アッラーが来世においてそれよりも素晴らしいもので報いてくれることを知っているからです。
    • 真の信仰者と、そうではない者の判別。

定命への信仰

    ムスリムは、アッラーが全ての物事が存在する以前からそれらを知っており、かつそれらが存在した後のことも全て知っているということを信じます。ゆえにかれはその知識とご意志において、全ての存在を存在せしめたのです。至高のアッラーはこう仰いました: -実にわれら(アッラーのこと)は、定命をもって全てのものを創った。, [クルアーン54:49]

    過去や現在、未来に関わりなく、発生する全ての事象はアッラーの知識のもとにもたらされます。全てはかれのご意志と裁定に沿っているのです。預言者ムハンマド(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)はこう言いました: 「しもべは良いことであれ悪いことであれ定命を信じ、また既に起こったことが起こるべくして起こり、起こらなかったことがそもそも起こることにはなっていなかったということを知るまで、信仰したことにはならない。」 (アッ=ティルミズィーの伝承)

    しかしこの信仰が、人は努力しなければ物事を達成しないという事実と矛盾することはありません。例えば子供が欲しいのであれば、結婚するなどのある種の物事を行わなければ、その目的を達成出来ません。そして彼がその能力において可能な全てのことを行ったとしても、彼はその目的を叶えることが出来るかもしれませんし 、あるいは出来ないかもしれません。これは人が何らかの目標を達成するために行うことのみが、それが実現するための真の理由ではないことを知るためなのです。真の理由とはアッラーのご意志以外の何でもなく、それら目的達成の手段もまたアッラーからの神的裁定によるものなのです。ある時アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は、ある者にこう訊ねられました: 「私たちは薬をもって治療し、クルアーンでもって魔除けを行いますが、果たしてこれらはアッラーの定命を覆すのでしょうか?」彼は応えました:「それら自体がアッラーの定命の内なのである。」 (アル=ハーキムの伝承)

    飢えや渇き、寒さなどもまた定命によるものです。そして人は食物の摂取によって飢えを、飲料の摂取によって渇きを、暖を取ることで寒さを凌ぐことが出来ます。人は飲食や暖を取ることなど、既に定められている物事によって飢えや渇き、寒さなどから身を防ぐことが出来るのです。つまりある種の定命でもって、別の定命を防ぐのです。


    定命への信仰がもたらす諸利益

    定命への信仰により、以下のような諸利益がもたらされます:

  • 定命への信仰は、良心と心の安らぎをもたらします。というのもこの信仰によって、何らかの結果や起こりもしなかったことゆえに悲しむことが少なくなるからです。心の不安や心配は欝やストレスなど、身体に好ましくない影響を及ぼす様々な精神的障害の原因となります。そして定命への信仰こそは、このような病に治療法と予防法を提供しているのです。至高のアッラーはこう仰いました: -地上で、そしてあなた方の内に起こるいかなる災難も、それが創造される前にアッ=ラウフ・アル=マフフーズ(護られた碑版)の中に定められていないことはないのである。実にそのようなことはアッラーにとって容易いことなのだ。それはあなた方が過ぎ去ったことに後悔せず、(アッラーが)あなた方に与えられたものにおいて悦に入らないようにするためである。アッラーは全ての自惚れ屋と高慢な者を愛でられない。, [クルアーン57:22-23]
  • 定命への信仰は、アッラーがこの宇宙に創造したものの探索や研究へと促します。例えば病気は人にその治療法を模索させますし、そしてそれは至高のアッラーがこの宇宙に創造した医療の源泉を探索することによって得られるのです。
  • この信仰により、災難の苦しみや後悔の念を抑えることが出来ます。財産を失うことは一つの苦難ですが、人がそれによって悲しめば二つの苦難‐つまり災厄による苦難と、悲痛による苦難‐を蒙ったことになります。しかし定命を信じる者は、どのような結果になろうともそれを喜んで受け入れるものなのです。アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は言いました: アッラーは脆弱な信仰者よりも、強い信仰者を愛でられる。そしてそのいずれも善いのである。あなたを益する行為に熱心であり、かつアッラーのご援助を乞うのだ。そしてそこにおいて怠慢であってはならない。そしていかなる災厄があなたを襲っても、“ああ、もしあのようにしていたらなあ”などとは言わず、“これはアッラーからの定命。かれはお望みのことをなされる”と言うのだ。というのも“もし”は、悪魔の行いに通じる扉であるからである。」 (ムスリムの伝承)
    定命への信仰はアッラーへの依存心を高め、被造物に対する恐怖感を取り除きます。教友イブン・アッバース(彼らにアッラーのご満悦あれ)はこう言いました: 「ある日私はアッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)の後ろにいました。彼は私にこう言いました:“少年よ。お前にある言葉を教えてやろう。それを心に書き留めて堅守するのだ。そうすればアッラーがお前を護って下さるだろう。アッラー(があなたに命じ禁じられること)を守るのだ。そうすればかれを眼前に見出すであろう。何かを乞うときはアッラーに乞うのだ。そして援助を求める時はアッラーに援助を求めるのだ。そして知るのだ。全ての者があなたを益しようと一丸になっても、アッラーがあなたに対して既にお定めになられたこと以外は何一つあなたを益することがない。また全ての者があなたを害しようと一丸になっても、アッラーがあなたに対して既にお定めになられたこと以外は何一つあなたを害することがない。(定命の)筆は既に置かれ、(それが書き留められる)ページ(のインク)はもう乾いてしまったのである。”」 (アフマドとアッ=ティルミズィーの伝承)
    定命への信仰とはある種の人たちが考えるように、努力やそのために必要なこともせずに、ただアッラーに頼り切ることではありません。アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)はある時、このように尋ねられました: 私はラクダをつないでアッラーに全てを委ねるべきですか、それともそれを放してアッラーに全てを委ねるべきですか?」彼は言いました:「それをつないでアッラーに全てを委ねよ。」 (アッ=ティルミズィーの伝承)